千鳥格子の歴史について


今から約1300年前の奈良時代。政府は農民に対し作物や工芸品を収めることを義務付ける租税制度(租・庸・調)を制定しました。これは全国に命じられたものでしたが、政府は飛騨国の木工職人の高い技術を都繁栄のために活用すべく、飛騨国にのみ「農作物の代わりに優れた木工職人を都へ派遣すること」を義務付けました。これが「飛騨の匠」の始まりです。

飛騨高山は森林に囲まれており、木材資源が豊富な地域です。豊かな森の恵みは古くから飛騨の人々の暮らしを支え、優れた木材加工技術を生み出しました。
飛騨の匠たちは厳しい環境に耐えながら真面目に働き、薬師寺や東大寺など現在も残る多くの神社仏閣の建立に携わりました。

そんな飛騨の匠の技術力の高さを知ることができる物のひとつに「千鳥格子」があります。高山市荘川町にある地蔵堂の格子戸の組子は約350年ほど前に作られたものですが、木がまるで布織物のように互い違いに組まれており、見ただけではどのように作られたのかがわかりません。飛騨の匠の技術の高さと卓越したセンスを感じられる「千鳥格子」は、飛騨の伝統技術のひとつです。